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バッハという天才的エンジニアの有名曲ブランデンブルク協奏曲作成の本当の理由とは
こんにちはサイです。

バッハは平均律クラビアータやゴールドベルク変奏曲など数多くの曲を書いています。

中でも個人的に好きなのがこのブランデンブルク協奏曲、中でも5番です。

この曲の作曲の背景はとても興味深いものです。
天才的な技術者であっても実際にその技術自体をマネタイズするには、音楽好きな有力者から評価してもらうように、その機会を自分で
作り出す必要があり、パッシブな姿勢では評価されないという点です。

リストラにあうと想定されるエンジニアが別の有力なスポンサー企業に技術力を評価してもらうため、最新技術を盛り込み、高額での雇用機会を得るための壮大なプレゼンテーションであった可能が高いようです。

以下はWikiペディアからの引用です。

献辞に示された動機を否定するものではないが、本作品が成立した本当の理由は就職活動だったのだろうと考えられている。当時バッハが仕えていたアンハルト=ケーテン侯レオポルトは自ら演奏もこなす大変な音楽愛好家で、一諸侯には珍しい立派な宮廷楽団をかかえ、楽団は多くの名手をそろえていた。バッハはケーテンの宮廷楽長として一生を終えるつもりだったが、ケーテン侯の妃となった女性が音楽嫌いであったためにレオポルト侯の音楽熱は冷め、宮廷楽団も縮小される事態に至ったという[2]。この状況で、バッハは新天地を求めざるを得ないと判断したのだろう。本作品が献呈されたのと同じ頃に就職活動をしていたことが知られており、1723年にはライプツィヒのトーマスカントルに転出している。辺境伯に作品を献呈することで、就職を有利にしようとしたことは十分に考えられるのである。

唯一、最後に作曲されたと見られる第5番については、作曲の時期と動機をうかがわせる、かなり有力な状況証拠が残っている。1719年、宮廷からバッハに大金が支払われた記録があり、その明細によると、バッハがベルリンまでチェンバロを受け取りに行ったらしい。購入されたチェンバロが高価であることから、バッハがそれ以前に一度ベルリンに赴いて、オーダーメードでチェンバロを作らせたのではないかと考えられている。新しいチェンバロを前にして、バッハが作曲の腕をふるっただろうことは想像に難くない。すでに完成していたと見られる初稿BWV1050aと献呈稿を比べると、有名な第1楽章のチェンバロ独奏部は献呈稿において初稿の約3倍の長さ(19小節→65小節)になっており、チェンバロのお披露目を意図した改変であることが想像される。通常は通奏低音楽器のチェンバロを独奏楽器群に加えること自体が独創的であるが、第5番はチェンバロの活躍が著しく、実質的に音楽史上初のチェンバロ協奏曲として、後代のピアノ協奏曲の出現を準備する画期的な作品となった。ちなみに、この2回のベルリン行きの際に辺境伯に会う機会があったのではないかとする説も有力である。

Bach: Brandenburg Concerto No. 5 in D major, BWV 1050 (Orchestra Mozart, Claudio Abbado)
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政治経済 | 11:51:46 | コメント(0)
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