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シングルタスクタイプとマルチタスクタイプ --ブルース・リーからの伝言
こんにちは、サイです。

ブルース・リーは32歳の若さでなくなっていますが、その生涯で多くの発言を残しています。

以下のものは私の好きな言葉です。


-私は1万種類のキックを1回ずつ練習した人を恐れない。だが、1つのキックを1万回練習した人を恐れる。

-個人の可能性を誠実かつ真剣に育てていくことが、立派な人間の役割であり義務である。

-1つの形にこだわるな。順応性を持ち、独自のかたちを作り上げてそれを育め。水のような存在になるのだ。


詳しくは、こちらで発言をまとめて詳細しています。



以下はブルースリーの生い立ち(wikipediaより)にあるように、武道に行き着く前に哲学に造詣が深いというのも興味深いところです。

出生・幼少時代

父親の中国系で広東演劇の役者の李海泉(中国語版)と、ドイツ・中国人のハーフの母親グレイス(中国名:何愛瑜、香港の実業家何甘棠(中国語版)の娘)が家族を連れて長期アメリカ巡業中、辰年の1940年11月27日、辰の刻(午前8時)にサンフランシスコの中華街の病院で生まれた。5人兄弟の次男。映画には芸名の李小龍で出演している。生後3ヶ月あまりでサンフランシスコで製作された映画『金門女』(中国)に出演した。

その後イギリスの植民地下の香港に帰国した。1941年12月から日本とイギリスが開戦し、香港が日本軍の占領下におかれ映画の製作が止まったために出演作はないが、第二次世界大戦終了後、製作が再開された8歳頃から子役として数多くの映画に出演。幼少より、中国武術の一派である詠春拳の葉問(イップ・マン)の指導で中国武術を身につける。少年の頃、道場にはバスで通い、バス停で他の生徒に「今日も休みだ」と嘘をついて帰らせ、葉問の個人レッスンを受けたという逸話がある。

また上海精武体育会香港分会にて北派少林拳の邵漢生に指導を受け、節拳(弾腿門)などを学んだ。

渡米・結婚

何不自由なく育ったリーの将来を心配した父は、「俳優の不良息子」として悪名を知られた香港から離し、渡米を命じる(アメリカで出生届を出していたので米国籍があった)。18歳のリーは、わずか100ドルの所持金で単身渡米し、シアトルに移り住む。新聞配達のアルバイトをして職業訓練学校のシアトル・セントラル・カレッジに通い高校卒業資格を得て、ワシントン大学哲学科に進学。勉学に励むかたわら、「振藩國術館」を開いて中国武術の指導を始める。高校で哲学の講師もしていた。その頃、同じ大学の医学生で、道場の生徒だったスウェーデン系イギリス人リンダ・エメリーと結婚。その後、大学を中退し、道場経営に専念。截拳道(Jeet Kune Do/JKD/ジークンドー)を創始する。

短い人生の中でも、数え切れない実績を残して今でも大きな影響力を持つ偉人だと思います。

曲は、帽子をとったら大変なことになっているNe-Yoです。

Ne-Yo - One More (Audio) ft. T.I.

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人生いろいろ | 13:42:12 | コメント(0)
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